2012年02月20日

「神様なんていない」のか?

最近、ふと思ったこと。

残念なことに、自分でご神縁を切って
(・・・と思ってもつながってるものですが)
ワールドメイトから去っていく人がいます。

みな、「神様なんていない」と言う。
人によっては「ここには、神様なんていない」とも。

これだけ証がたくさん出てて、
祈ればすぐに神様を感じられるところも珍しいのに、
そんなことをおっしゃるのです。

そうおっしゃる本人も、
ワールドメイトの祭事や秘儀で、
「本当に神様を感じたーーー!」とか、
「(利き酒で)味が変わったーーー!」とか
はしゃいでおられたのに、です。

それがなんで、
急に「神様なんていない」になるのか。

ワールドメイトは大きな組織ですから、
組織運営上で行き届かないところもあるでしょう。
(みなで改善すればいいだけの話です)
エンゼル会員はみな修業中の「同志」なのですから、
お互いの未熟さがぶつかることもあって当然です。
(自分が変わって立派になればいいだけの話です)
どちらも、神様がいるとかいないとか関係ありません。

でも、「神様なんていない」と言いだす人がいる。

聞いてみると、理由は同じです。
「思ったとおりの証が出ない」というもの。

これだけです。

考えてみればこれはおかしな話です。
神様は何も、私たちの願いを、
わがまま放題、好き放題に叶える
「便利屋」ではありません。

最大限、私たちの希望は考慮してくださるけれども、
神様には神様のご計画があり、
私たちが成長し、より永続的で本質的な幸せを得られるよう、
先の先をみて、導いておられるはずです。

だとしたら、
「(気持ちはわかるが)その願いは叶えるべきでない」
とか、
「(いずれは違う形で叶うけど)今はまだその時期ではない」
とかいった形で、
私たちの成長度合いや人生のテーマ、
そして時期とタイミングをみて、
願望を成就させるかどうかを総合的に判断されるはず。

そう考えたら、
「(願い事が叶わないから)神様なんていない」
というのは、あまりにも幼稚。子供っぽい考え方です。
神様も苦笑しておられるでしょう。

時間が経ってみればわかります。
先日、「早い遅いはあるなれど」と題してエントリーしましたが、
時間が経ち、環境が変わり、自分自身も成長して振り返れば、
紆余曲折を経て、様々な段階とプロセスをふまえて、
だいたいの願いは叶っているはずです。

世の中には、叶えてはいけない願いもあります。
たとえば、
「○○さんと、○○さんを、同時にモノにしたい!」
とか、考えられないような願いを投げる人もいます。
(ホントにいました!)

しかし、神様はちゃあんとその願いを「受け取り」、
わかりやすい形で証を出してくださいます。
すなわち、本人がいろいろなことに行き詰り、
にっちもさっちもいかなくなって、
「度を越したわがままは周囲に迷惑をかけるなあ。
自分にとってもいいことないなあ」
と悟るまで、きっちりかっちりと「追い込んで」くださるのです。

ここまで極端でなくても、
若い頃はなんでもかんでもうまくいくのが幸せとは限りません。
失恋を経験し、金に困り、恥をかき、汗を流し、
人に頭を下げ、頭を下げて教えを請う姿勢を学ばなければ、
ロクな人間になりません。
だから、
「ことごとく願い事が叶わない」
「祈れば祈るほど、人生が追い込まれていく」
という人は、それだけ深く神様に愛されている人です。

そして、そういう人が試練を越えて立派になり、
ある程度の劫と因縁の精算を済ませたならば、
ある時を境に爆発的に開運したりします。
それこそ、「祈ってないのに、願いが叶う」ほど開運するのです。

もちろん、個人レベルでは推し量れないこともあります。
家代々、数百年にわたる因縁や業が絡んでいて、
先祖代々事故死、変死、早死、奇病、難病に悩まされている場合などは、
本人だけの祈りや努力ではどうしようもないことがあります。
(そんなケースでも、北極免因超修方や宇宙秘儀などの必殺技がありますが)

また、地球規模、国家規模で、歴史が変動する場合などもそうです。
国全体、民族全体の供業に巻き込まれているときに、
個々人でどれだけ祈ったり努力しても、ある程度仕方ない場合もあります。
(実はその地球規模、国家規模の災いを食い止めるのが、このたびの神仕組です)

こうした例外的な状況にあって、
「願い事が叶わなかったから、神様はいない」
というのは、ちょっと神様がかわいそうです。

(もっとも、気休めでもなんでもなく、
強烈な家の因縁がはらわれたり、
国家規模の大災厄に遭遇したあとには、
家運や国運が急上昇する場合が多いのです。
また、そうした災厄で「犠牲」になった方々は、
素晴らしいあの世、素晴らしい来世が約束されてたり
することも多いそうです。
神様は全部見ておられ、全部ご存知なのですね)


「神様なんていない」のではありません。
自分が神様を信じなくなるだけ。
思ったとおり、願ったとおりにならないから、
ダダをこね、そっぽを向いただけ。
・・・そうじゃないでしょうか?

だからむしろ、
願いが叶わず、思い通りにならない時のほうが、
信仰の上では大きなチャンスなのだそうです。
「それでも神様はいる」
「これはきっと、私の成長のために、神様が仕組んでおられる」
と宣(の)り直し、思い直して、あらためて
「神様ありがとうございます」
と感謝できれば、神様も感動されます。

「そうか。そうか。そこまでわかってくれてるか」
と神様が喜ばれれば、時期を変え、タイミングを変えても、
いつか必ず願いが叶う。
いや、「願った以上」とか、「思ってもみない幸運」が、
ある日突然に降ってくるのです。

こうした呼吸がわかるようになると、
ご神業は、雨が降っても、風が吹いても、何が起ころうと幸せです。
生きても死んでも、いつまでも永遠に究極に幸せ。

「神様なんていない」どころか、
「いつも神様と一緒にいる」人生になりますね。

posted by Son of Zeus at 06:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

気付かないから「因縁」という

豆木の季節になると思い出すことがあります。

昔、青山塾で一緒だったA君。
青山塾生・・・といっても、
ほぼ「卒業間近」の彼は、全ての豆木のなかで、
「色情因縁豆木」だけは一度も書いたことがないと、
豪語(?)していました。

理由を聞いてみると一言。
「いやあ。僕、彼女イナイ歴三十○年ですから。
色情因縁だけは関係ないでしょ」

いやいやいやいや・・・。

その瞬間にそこにいた全員から突っ込みが入ったのは
言うまでもありません。

「何もないのが色情因縁なんじゃあああああ」

という周囲からの猛烈な抗議(?)に、
やむなくその場で色情因縁豆木を書いたA君。

その後、どういうわけか、塾や支部のおネエ様方から、
「だからあんたはダメなんじゃあああああ」
としょっちゅう突っ込みが入り、
着るものから、言葉遣い、身のこなしまで変えた結果、
見違えるようにイメチェン。

彼女ができたとか、できなかったとか・・・(笑)


もう一人は同じ支部のBさん。

おっとりした彼女は、
およそ「怒る」という言葉に縁がありません。

だから修羅道豆木は書いたことがないといいます。

しかし、そんなBさんが一言。
「私、おっとりしているせいか、
いつも周囲がイライラしちゃうんですよね」

いやいやいやいや。

「Bさん、それも因縁なんじゃないですか?」

修羅道に落ちた獄界先祖の影響は、
何も子孫が怒りっぽくなることだけでなく、
周囲に及ぶのです。

その年、Bさんは修羅道豆木を書いたのですが、
その後、支部のお役に立候補して、
みちがえるほどハキハキしました。

今やおっとりして周囲をイライラさせるどころか、
トロトロしてる男の子をBさんが叱りつけるほど(笑)。


このように、
本人が気付かないところに潜んでいるのが、
「因縁」なんですね。

本人も周囲も気付かないぶん、
放置されてなかなか修正が効かない。

獄界先祖の存在そのものが、
何百年、何千年も気付かれないように、
意識にのぼらない因縁は処置のしようがないのです。

対策としては、たったひとつ。

その年に出された豆木を、
全部書くことです。

少額でもいいから、
コツコツと残らず書く。

豆木が許されたということは、
獄界の蓋があいて、
救済が許された先祖がいらっしゃるということ。

そうしたご先祖様方にとっては、
千載一遇の機会ですが、
私たちにとっても、
普通に暮らしていたら絶対に気付かない
因縁に光が当たるまたとない機会なのです。


今年もまた、
今年だけの新しい救済豆木が許されたそうです。

ということはつまり、
私たちの霊的世界の意外な世界に、
今まで届かなかった光が届くということ。

心から感謝するとともに、
慎んで豆木を書き、
申し込ませていただきたいと思います。

posted by Son of Zeus at 05:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

冬神業の過ごしかた

「冬神業をどう過ごしたかで、
その一年間のご神業が決まる」
といわれています。

一年間で最も気が濃いこの季節。
立春で天界の蓋があいて、
天上界から神々がご降臨されます。
ふだんならばお目にかかることの
できない尊いご神霊です。

その神々様と接霊し、
御魂と御魂で交流し、
投げかけるべきものを投げかけ、
受け取るべきものを受け取る。
これがどこまでできたかで、
一年間が決まるそうです。

だから、昔から支部では、
「通(つう)はやっぱり冬神業」という言葉が、
合言葉のように唱えられていました。

青山塾生は寒の極まるなかで
お百度を踏んだりしていました。
そこまでしない人も、
21日間、熱烈に神社参拝したりして、
全身全霊で神様に向かい、
2月21日頃からはじまる
「公開冬神業」に皆で参加したのです。

神様からいただくご褒美を、
「御魂の恩頼(ふゆ)」というそうです。
それは直接、神様から各自の御魂に
ダウンロードされるようにやってくるとのこと。
この一年の修業プログラムだったり、
悟りのテーマやヒントだったりするものが、
冬の極まるこの時期に魂に転写されます。
そしてそれが、春頃から一年を通してあらわれ、
環境が変化したり、
気持ちが変化したり、
やむにやまれない衝動に襲われたりして、
人生の新しい扉が開くのだそうです。

だから、「通はやっぱり冬神業」。
この時期の過ごし方を大切にします。
神社で21日祈願を行ったり、
人弭化形や絵馬代を書いたり、
人知れず発願を立てたりして、
最大限、全身全霊で神様に向かうのです。

幸いなことに今年は、
磐梯でご神業が行われます。
すの神様がご降臨されて、
40周年という記念すべき日を、
神気極まる磐梯山で過ごすことができるのです。

人生最高の冬になるかもしれませんね。

今からじっくり準備して、
たくさんの御魂の恩頼をいただきましょう。



posted by Son of Zeus at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

早い遅いはあるなれど。。。

つらつら思うに、
昔、願ったことはみんな叶っています。

海外に行く用事が多くなって、
「大変だなあ」と思いつつ、
それでも
「まあ、行ったことないとこだし!」
と喜んでいたことがしばらくありました。

そんな海外めぐりが一巡して後、
ふと気が付きました。

「行きたいと願ったところに、
全部行けてる!」

自分でも忘れていたくらいですから、
相当に昔。7〜8年くらい前でしょうか。

とにかく、ありったけの願いを全部、
等身大形代に書き込んだことがあります。
(いつのどちらの神事か覚えてないのですが)

その中に、
「○○に行きたい!」と行きたい都市名を
何か所か書き込んだことを覚えています。

長い時間をかけて、
しかも、仕事上の発展と軌を一にして、
自然な形で全部叶ったわけです。

他愛もなく、
それほど切実ともいえない願いですが、
結局のところ神様は
全部聞いてくださっていたんですね。


願いごとが叶うには、
下記のような法則があるそうです。
ワールドメイトの講義で、
教えていただいた内容です。

「証が出ない」とか、
「願いは叶わない」といった悩みを
抱える皆さまには参考になると思います。


1)神様は必要な時間をかける

いくら「全知全能の神権」をお持ちの神様でも
この世のことをきっちり整えるには、
それなりの時間をおかけになるそうです。

この世の法則もまた、
神様がお作りになったもの。

時に「あり得ない奇跡」を起こすのも神様ですが、
基本的には、この世の手順とルールに従い、
自然な形で機を熟させ、願いを叶えてくださいます。

だから、大きな願いほど長い時間をかけ、
じっくりと万全の形で成就させてくださいます。

「早い遅いはあるなれど」
…神様にお導きいただく限り、
願いはいつか叶うのです。


2)願いを成就させるプロセスで、
人を育て、人を幸せにする


人生の究極の目的は、
御魂磨きと徳積みです。

自分を磨き立派になり、
たくさんの人を幸せにできる人間になる。

だから、そうなるよう、
願望成就のプロセスを工夫させるのです。

私の場合は、
「○○に行ってみたい!」
という他愛もない願いでしたが、
これを叶えるプロセスで、
神様はいくつもの課題とステップを
準備して下さっていました。

語学をやらざるを得ない環境に追い込まれ、
やったこともない仕事に挑戦させられ、
「なんでこうなるんじゃ」ということが多々あり、
それらを全部やりこなせてみて、
気がついたらそれらのプロセスで、
行きたかった場所に全部行っていました。


(3)「願ったとおり」になるというより、
「願った以上」の結果になることが多い


人間は神様に比べたら未熟です。

また、同じ人間でも、
成長する前と後では、
願い事の種類が変わります。

成長して立派になれば、
より大きく、深い角度から、
物事を考え、計画を立てることができます。

「若気の至り」という言葉がありますが、
若い頃の他愛もない願いは
(その時は真剣そのものなのですが)
時間が立ってみると、
恥ずかしくなるほど幼稚だったりします。

でも、神様はちゃあんとそこをわかって、
見事に計算して願いを叶えてくださいます。
未熟な自分の願いでも、
時間がたって成長した頃に
見事に「これでよかった」と思えるよう、
時間差で導かれるのです。

先にも述べたとおり、
願望成就のプロセスに、
必ず「プラスα」を加えてくださり、
一石二鳥、三鳥を狙われるのです。

また、願いごとの中には、
そのままの形で叶えないほうが、
本人や関係者にとって幸せな場合があります。
その場合は、大きな角度から修正を加え、
後から考えて「これで良かったんだ」となるよう、
導いてくださいます。

だから、
本当に正神界の神様が動かれるからこそ、
「願ったとおり」より「願った以上」になるのです。

このことが分かってないと、
「ちっとも願いが叶わない」とか、
「願ったことの逆に行ってる」とか
思うこともあり得ます。

でも、それは「願った以上」に
導かれているプロセスなのです。


(4)神様は「粋(イキ)」が好き

そして最後。

何かひとつ、「ぱーん」と粋に感じるような、
鮮やかなドラマを入れこんでくださることが
多いそうです。

不思議なご縁のドラマになったり、
人名や地名、数字がピタリと符合したり、
あり得ないような偶然が重なったり。

「こんなこと、神様じゃなきゃ無理だ」
ということを仕組まれます。

そこに、驚きと感動があるのです。

神様は機械ではありません。
コンピューターのように入力した通りに出力するわけでなく、
ATMのようにボタンを押したとおりに現金が出てくるのでもない。

ドラマがあり、
ストーリーがあり、
ユーモアがあり、
脱線もちょっとあって、
クライマックスを迎えることが大好き。

それが生ける実在の神様です。


大切なのは、こうしたことを信じて、
願いを諦めないこと。

無論、結果に執着しては、執着心の黒雲に覆われ、
叶う願いも叶わなくなりますから、
「全て神様にお任せしますー」と「放たれた心」に帰一することが、
結果として全ての願望を成就させるコツですが、
神様は親の親の親の親のそのまた親の・・・ですから、
胸で思った願いをなんでも投げてみて、
とりあえずは甘えてみることです。

緩んでたり、心得違いがひどい場合は、
「こらー」と鉄槌を下すこともないわけではありませんが、
やはり人間がかわいいのでしょう。
最後にはきっと、
「やっぱり神様はいるんだ」と思うような証を下さいます。


そうやって、神様との距離が近くなり、
徐々に交流が深くなっていくこともまた、
神人合一の道の第一歩だそうです。


ぜひ、日々実践してみたいものですね。




posted by Son of Zeus at 11:33| ワールドメイトで体験したこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

立春で変わる

立春を迎えました。

多くの方が(特に占いをされる方)
「立春を境に運命が変わる」といいます。

2月3日の節分で
「節」が「分かれ」、
翌日の立春から、
名実ともに新しい一年が始まる。

春が立つのです。

ワールドメイトでは、
その理由を明快に説明しています。
すなわち、
節分とは「天界の大晦日」であり、
節が明けて春が立った瞬間に
「天界のお正月」を迎え、
最奥神界から神々がご降臨されるそうです。

そして、立春から、
すの神の降臨日である2月27日頃までの、
一年間で最も気が濃く、かつ澄みわたる期間が、
「冬神業」です。
その余波は空気が緩む3月中旬まで続くそうですが、
この間、ずっと最奥神界から神々がご降臨され、
今年一年のご神業の方向性が決定するそうです。

それゆえに、
節分を境にガラリと運命が変わる人が多いのです。

新しい出会いがあったり、
新しい気分になったり、
ともかくいろいろ変わります。

私事ながら、
今年もそうでした。

仕事上のことで、
思ってもみない人から
思ってもみないお誘いをいただき、
大きく方向性が変わろうとしています。

みなさんはいかがでしたか?

ともあれ、
春が立ち、
新しい人生が始まりました。

皆さまの今年が、
本当に素晴らしいものになりますよう、
心よりご祈念申し上げております。


(PS.そんなわけで、
ブログを引っ越ししました!
今後ともどうぞ、
よろしくお願いいたします)
posted by Son of Zeus at 15:16| ワールドメイトで体験したこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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