2012年03月06日

「煮え湯」を飲んだ経験こそ

「それなり」に年をとってくると、
時折、昔のことを思い出します。

もちろん、「追憶」のなかに生きていては、
魂が死んでしまいます。

「昨日より今日」、「今日より明日」で、
日に新た、日に新たの進歩、発展、挑戦を続けてこそ、
御魂が輝き、生命の息吹が湧いてくるそうです。

だからなるべく「過去」に生きるべきではない。

しかし、そうは言っても、過去があるから現在があります。
来し方を振り返り、進むべき未来に思いをはせることも、
時には必要です。

そして、そんなふうにして過去を思い返すとき、
ただ単純に楽しかったという思い出よりも、
苦しい時間を乗り越えたという経験のほうが、
圧倒的に素晴らしい思い出として脳裏に蘇るのです。

「いついかなる時もうまくいく」という人はいません。
理不尽な目にあい、割の合わない思いをし、長い忍耐をして、
ときどき霧が晴れたように物事が進む。
どんな偉人であれ、成功に至る道は、だいたい共通しています。

事実、豊臣秀吉であれ、徳川家康であれ、
幼少期から思春期にかけては壮絶な苦労をし、
青年期から中年期までのすべてを下積みの時間として雌伏して、
ある時、天の機をつかんでから、天下人へ駆けあがっています。

後世の人は鮮やかで華やかな部分しかみませんが、
40年、50年と続く忍耐をやりとげ、
余人の及びがたい実力と人望を身につけたからこそ、
あの、史上まれなる大出世があったわけです。

いわば、栄耀栄華のほぼ全ては、
忍耐と苦渋と葛藤と困窮と理不尽な思いが転化され、
この世に顕現してきたことになります。

だからでしょう。

ふと目を閉じると、
苦しかった時代を乗り越えた足跡が、
黄金のカーテンの向こうに浮かびあがるように、
ふわりと目に浮かびます。

かつて、兜卒天悟得会のときに、深見先生は
「煮え湯を飲んだ経験だけが兜卒天に持っていける」
とおっしゃいました。

理不尽な扱いをうけ、
苦渋と困窮をぐっとこらえて
「煮え湯」を飲むような思いをしたぶんの苦労が、
魂に残り、魂を鍛え、大きくし、その人の実力となる。

だから、死んで兜卒天にのぼるような人は、
生きている間はあらゆる苦労を体験し、
汗をかき、頭をかき、恥をかきながら、
世の中のため、人々のために、
「報われない努力」をさせられるそうです。

そして、「世の中」と「人々」が
「報いてくれなかった」ぶんの苦労を、
ご神霊が報いてくださるからこそ、
この世では到底経験し得ないような
絶叫するような幸福と満足のなかで、
何百年も過ごさせていただける
兜卒天の住人となるのです。

私などはそれに比べるべくもありませんが、
それでもご神業を20年近くもやっていると、
少しだけその呼吸がわかるような気がします。

大変だったこと、
苦しかったこと、
理不尽な目にあったこと、
悔しかったことなど、
「煮え湯を飲む」ような思いをした上で、
それを乗り越え、明るく次のステージに進んだ事柄は、
すべてが素晴らしい思い出となって、
自分のなかで輝いているのです。

私の魂が得た、本物の宝物です。

どんな苦しみも永遠には続きません。
ことに、ご神業に生きる人には、
5年、10年のスパンで状況がどんどん変化します。

なにしろ、仕組の段が変わるし、
本人の修業の課題も変わるのです。

今となっては、
毎月一回定例セミナーに集い、
夜を徹して青山塾で精進した90年代が懐かしいですし、
数週間、数カ月の時間をかけて、全世界から神事会場に結集すべく、
精一杯のお声かけをした、2000年代最初の10年間が
とても楽しく思い出されます。

もちろん、そういったご神業も終わったわけではなく、
そこで出された重要なエッセンスは引き継がれ、
さらに発展して新しい段に続いているわけですが、
かねがね深見先生が、
「私と一緒にこういうご神業ができるのも、いっときだけのことですよ」
とおっしゃったとおりに、ご神業のあり方はどんどん変化しています。
その深見先生の言葉に、嘘はありませんでした。

そして、ご神業を進める上で、
職場や家族、人間関係や資金の面で、
頑張ったこと、努力したこと、板ばさみにあったことなど、
「煮え湯を飲んだ」全てのことが、
今となっては懐かしく、黄金の思い出として脳裏に浮かぶのです。


――――――――――――

さて。

週末には久々の神開き、
「霧島神業」が行われます。

こういったタイプのご神業は、
ずいぶん少なくなりましたが、
それゆえに、これからはじまる一回一回のご神業が、
いかに貴重な機会なのかを実感します。

確かに、年度末に九州の南まで集うのは、
そんなに簡単ではないという人も多いでしょう。

しかし、それゆえに、
その苦労は魂に残り、神様が受け取って下さるのです。
(もっとも、神事そのものは、その場所にいるだけで、
例えようもないくらい幸せな至福の時間ですし、
人生が変わるような証もバシバシでますので、
参加しないと本当に「勿体ない」のですが・・・)

この瞬間、瞬間に、
未来に花開く幸福の種をまかせていただいています。
そして、ひとたび開いた幸福の花は、永遠に続く幸せの実を、
私たちが持ちきれないほどくれるのです。
だからこそ、深見先生と一緒にご神業ができる今こそが、
「黄金の時間」です。

そう信じて、
霧島の地に向かわせていただきましょう。


posted by Son of Zeus at 07:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。